自分が持ってる『広辞苑(第二版)』を見てたら、「〜(が)する」が他動詞になっていた! 一体どんな基準で自他動詞を分けているのだろうと思って、巻末の「国文法概要」(p.2392)を読んでみると……。

 なお、西洋語においては、受身形を作るか否かによって動詞の他動詞・自動詞の別を立て、それが実際に有用な区別となっているが、国語では、抽象的な概念、また無生物を主格に立てて受身形を作る構文法は発達していない。国語の受身形は、自発・可能との区別がやや曖昧であり、また、自動詞も受身形をつくることがある。例えば「親に死なれる」「雨に降られる」のようなもので、これらはむしろ被害・迷惑を表現するものである。また、多くの動詞の用例を通覧しても、国語では目的語をとるかとらないかによって動詞の自動詞・他動詞を区別することも困難である。従って、国語では、動詞の自他を区別することは重要な意味を有すると考えられないが、本書では、従来の慣例に従って、動詞に自他の別を付することとした。

おい、おい。この文章の流れなら、最後の文を「〜重要な意味を有するとは考えられないため、本書では動詞に自他の別を付することをしない」としたほうが自然じゃないですか(笑)。どうなってるんだ。
また、「無生物を主格に立てて受身形を作る構文法は発達していない」とあるが、「紙は蔡倫によって発明された」とか、「ワインはぶどうから造られる」など決して特殊な用法ではないでしょう。それに、「従来の慣例」と言ったって、「〜(が)する」は他動詞じゃないと思うぞ。「直接受身を作れないものを自動詞とする(三上章)」といった説は1950年代にはもうあったはず。(上の「親に死なれる」などは間接受身。)
この『広辞苑(第二版)』は、かなり昔の辞書(1969年)だからとは言え、こういった日本語文法の混乱は今でも尾をひいている。特に台湾人の年配の教師の方など、昔自分が習った文法をそのまま今の生徒にも押し付けようとする人がけっこういるからだ。何が何でも、「を」があれば他動詞とかね。
自分の短い日本語教師の経験から言わせてもらえば、日本語の全ての動詞を自動詞・他動詞で分ける必要性を感じない。ネットで使うことのできる「大辞林 第二版」にも自他の区別の記載はない。ただ、「つく・つける」「開く・開ける」などの対応がある動詞群についてだけはその区別があったほうがいいと思うが。