読解の指導 2001年度の問題から

自分自身「読解とは何か」といふことがよくわからぬまま試行錯誤を繰り返す毎日なのだが、先日の授業の様子を現時点での記録として残しておく。テキストは平成十三年(二〇〇一年)度日本語能力試験一級の読解問題の一番。問題の出典には、(平田オリザ「緩やかなきずな(九)」二〇〇一年六月二十七日付毎日新聞朝刊による)とある。

授業のテーマ 「は」に注目しながら、全体をいくつかのブロックに分ける

「XはY」と云う形は、「は」で所謂「主題X」を提示し、以下でそれに対する「説明Y」を述べるもの。そして、多くの場合「は」はその文中の述語にとどまらず、もつと広い範囲に係る。「は」が係る範囲を見極めることで、意味的な段落分けを行ひ、それぞれの段落の中で何が述べられてゐのかを見ていく。
このテキストでは主題の「は」が非常にわかりやすく明示されてゐる。文中の「は」(または「も」)を拾つていくと、以下のやうになる。

  1. 世間で「は」
  2. (教える側「も」、子供たちの方「も」〜いないか?)
  3. 私「は」
  4. 私「は」
  5. 日本「は」
  6. 明治以降の近代化の過程「も」
  7. しかし、私たち「は」
  8. 表現と「は」

目に見えるヒント「は」をマーキングすることで、長文をいくつかのブロックに分けることができる。そして、それぞれのブロックが「何について書かれてゐるのか」といふ最低限のことがわかれば、それを手がかりにして、長文全体の流れを追ふことができるのではないか。
本文を解説する前に、上記のやうに学習者に「は」を抜き出してもらひ、それを以下のやうにまとめて、板書しておく。

  1. 現代社会について
  2. 筆者の疑問点
  3. 筆者の実践
  4. 筆者の考え
  5. 過去の日本の社会
  6. 明治期の日本の社会
  7. (上の二つと異なる)現代の社会
  8. 表現とは何か

第一段落 「世間では」

冒頭に「世間では」といふ言葉があり、ここでは「世間」についての説明がされてゐるはず。少し後に「状況だ」とあるので、この段落では現代の社会がどのような状況なのかの説明部分になつてゐる。「現代社会は(Y)といふ状況だ」。
問一では、この「状況」に下線が引かれ、どのやうな状況なのかを選択肢から選ぶことになる。本文中の「子どもの方から見れば、表現を強要されている」を言ひ換へて「親や教師が子供にとにかく何かを表現させようとしている状況」といふ選択肢が正解。日本語能力試験の読解では、このやうに「言ひ換へ」できることが「わかる=正解を選ぶ能力」につながることが多い。ここでは「強要」といふ漢語が「とにかく〜させる」とほぼ同じ意味を持つことがわかればよい。受身の格変化は一級レベルの学生には問題ないと思ふ。
板書→現代社会:子供に表現を強要してゐる

第二段落 「?」

この「段落」は疑問文が二つのみ。上の状況に対する筆者の疑問点。「教える側も、子供たちの方も、『表現』ということを無前提に考えすぎていないか?」
板書→筆者の疑問点:「表現」の前提は何か(どうして表現するのか)

第三段落 「私は」

ここは冒頭に「私は」があつて、わかりやすい。第一段落での「世間では」(また、第二段落の「教える側も、子供たちの方も」)との対比で、主題が一般的な状況から筆者自身についての事柄に移ることが示される。以下を読むと、筆者が演劇の全国の学校でのワークショップで行つてゐることが書いてある。筆者は何をしてゐるのか。「子供たちに感じとってもらいたいことは、表現の技術よりも『他者と出会うことの難しさ』だった」とある。
板書→筆者の実践:「他者と出会うことの難しさ」を伝へる
ここで問二「『他者と出会うことの難しさ』とは何か」に答へる。これも言ひ換へで、ここでは本文中に答がある。上の文は「AよりもB」といふ形で、直後に「CではなくD」といふ形がある。「他者と出会うことの難しさ」といふやうな「抽象的な」表現は必ず何かしらの追加説明があるはずで、「AよりもB」の言ひ換へとして「CではなくD」とあるので、「B=D」と考へて、Dの部分「自分の言葉は他者に通じないという痛切な経験」に相当する選択肢を選ぶ。

第四段落 「私は」

ここにも「私は」とある。ここでは上の実践の背後にある筆者の考へが述べられる。「演劇を創るということは、ラブレターを書くようなものだ」。「分かり合えるのなら、ラブレターなんて書く必要はないではないか」といふ譬へが理解できれば、筆者の考へがわかる。「ラブレター=表現」。この部分が第二段落の「どうして表現するのか」といふ問ひに対する答になつてゐる。異性にもてる人はラブレターを書いた経験がないので、ラブレターが下手である、と。つまり、第三段落の「他者と出会うことの難しさ」を経験してゐない人は「表現」がうまいはずがないといふこと。
板書→筆者の考へ:分かり合へないから、表現(ラブレター)が必要

第五、第六、第七段落

板書→過去の日本の社会:「分かり合う文化」(お互いの気持ちを察知する)
板書→明治期の日本社会:上と同様に「価値観を一つにまとめる方向」
板書→現代の社会:以前と違ひ「異なる価値観を、異なったままにしながら共同体を運営」
明治期までの日本の社会では、「他者と出会う」ことがなく、日本語ではそのための「表現」が発達しなかつた。しかし、現代では異なる価値観を持つた者が共存するために「表現」が必要となつてきた、と。

第八段落 「表現とは」

「表現とは単なる技術ではない」として、第三、第四段落の内容が言葉を換へてもう一度述べられてゐる。