『雁』の中の「言ふ」と「云ふ」

森鷗外の『雁』を読む。新字新かなの新潮文庫版(ISBN:4101020019)。
裏表紙には「極めて市井的な一女性の自我の目覚めと挫折」とあるが、自分は高利貸末蔵を中心に読んだ。金銭的には成功し妾を囲ふものの、そこから生活がちぐはぐになつていく末蔵の描写がうまい。この人物像の中に鷗外自身を強く感じるのだけど、どうなのかな。

「言ふ」と「云ふ」

読んでゐて、「いふ」と云ふ動詞にほとんど「云」の字が使はれてゐるやうな気がしたので、「言」の字を見つけたら、印をつけるやうにしてみた。下の引用部分のやうに混在してゐる部分もある。

お目に掛かっても、物を言うことが出来なくては、どうにも為様がなくなってしまう。一体わたしはあの時なぜ声が出なかったのだろう。そう、そう。あの時わたしは慥かに物を言おうとした。唯何と云って好いか分からなかったのだ。「岡田さん」と馴々しく呼び掛けることは出来ない。そんならと云って、顔を見合わせて「もしもし」とも云いにくい。(P.99)

上の引用部分だけではよくわからなかつたのだが、後で「言ふ」の部分だけ抜き出して並べてみると、一応規則性(?)があるやうだ。

  • お世辞を言わない
  • どっちからか言い出した
  • 当時の流行語で言うと
  • 面倒な事を言っていて
  • 馬鹿を言うな
  • どう言おうか考える
  • 小言を言う
  • 行先を言えば
  • 泣言を言って
  • 人に言われぬような
  • 無理を言う

「言ふ」の場合は、「を言ふ」または「に言ふ」と云ふ形が多い。そして「と」がない。一方、「云ふ」の場合は、「と云ふ」の形で「と」と共に使ひ、発言内容なり、何らかの名称なりが示されてゐるか、「かう云ふ」「さう云ふ」と指示詞に続いてゐる。「と」か指示詞がない時は「言ふ」を使ふと云ふ簡単な使分けでいいのだらうか。


こちらに『雁』のテキストがあつた。
森鴎外『雁』(旧漢字・旧かな使い)」(「鏡花と古書とアンティークの小径」
http://heide13.hp.infoseek.co.jp/gan.html
こちらで調べてみると、動詞の「言」の字は全部で百と少し(見落としあるかも)。そのほとんどは上の規則(?)のやうに「を言ふ」「に言ふ」で「と」を含まないものだつたのだが、例外が二つ。

  • 「その手を放さずにゐるのだぞ」と小僧に言った
  • 「僕は君に話す事があるのだった」と言ひ出した

この二つは「と」があるのに、「言」になつてゐる。新潮文庫でも同じ。うむ、「と」だけでは区別できないのかな。「出す」がついて複合動詞になると、「言ふ」を使ふのかしらと考へてみたが、次のやうな文もある。

  • 二三日立ってから、岡田に逢ふと、向うからかう云ひ出した

今のところ、よくわかりません。
【参考】
「言ふ云ふ」(「琉球の風ノート」
http://www.k2.dion.ne.jp/~riukiu/ihu.htm
【追記】
「いふ。」(「それはべつとして...」
http://d.hatena.ne.jp/eulear/20051110#p1


以下funaki_naoto さん経由
【言ふ】と【云ふ】と【謂ふ】
http://nippongo.hp.infoseek.co.jp/nippongo/content/iu.html
言ふ・云ふ
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/kotoba/Ifu.html