『思考のレッスン』丸谷才一(文春文庫)ISBN:4167138166

電車の中で読む。
思考のレッスン (文春文庫)
日本語では否定詞などが文末あり、文を最後まで読まないと意味がとれないので、長い文が書きにくい。日本人は長いセンテンスを書くときは、無意識的に「サイン」(=接続詞など)を出しながら書いてゐる、と。

英語とくらべると、このことははっきりわかります。英語ではセンテンスの出だしに接続詞を使うことがずっと少ない。"and"とか"but"が文章の初めにくることは少なくて、すぐに主語があって、動詞がある。これをそのまま日本語に翻訳すると、とても読みにくくなるんです。特に評論の場合にそうですが、訳すときに「ところが」とか、「それ故」といった接続詞を足してやると、わかりやすくなる。
一体に日本人の文章は、「そして」とか、「それなのに」とか、「運悪く」とか、そういうのを文章の初めにみんなつけるでしょう。(「書き方のコツ」P.237)

自分が台湾の学生の作文を添削する時にも接続詞を書き加えることが多い。また、接続詞以外にも、「陳述の副詞」と呼ばれるやうな、文末表現との呼応があるものも、「サイン」としてきちんと教へたい。「たぶん」「ぜひ」「決して」「なんて」「せつかく」「まさか」「さぞ」等等。ただ意味を与へるだけでなく、どうしてそれが必要なのか説明も加へて。
自分が授業でやるのは、井上ひさしのエッセイで読んだ道順説明の笑ひ話。「ああ、郵便局ですか。郵便局は、ここをまつすぐ行つて、二つ目の角を右へ曲がつて……(延々と説明が続く)……その橋を渡つた所には、ありません」といふ感じで最後の最後でそれまでの長つたらしい説明を全部否定するヤツ。この笑ひ話で、文末で意味が決まる日本語の特色を印象づけ、だから「陳述の副詞」などがよく使はれる、と。