敬語 人と人の距離

橋本治福田恆存の著作から敬語に関する言及が引かれてゐる。

「敬語は人と人とのあいだの距離を認める言葉だ」(橋本治

「縱だけでなく、それよりも横の距離を保たうとする心の働きが敬語の主要な機能である」(福田恆存

自分も日本語教師としてクラスで敬語を扱ふのだが、初級のクラスでは敬語ではなく、まづ所謂「普通体」が問題になる。
ほとんどの初級テキストでは先に「です/ます体(敬体、または丁寧体)」から教へ、基本的な動詞の活用を勉強した後で「だ体(日本語教育では「普通体」)」を教へることになつてゐる。『みんなの日本語』では第20課。今までずつと「です/ます」でやつてゐたところへ、突然「だ」や動詞の言ひ切りの形で終はる文が出てきて、学習者は当然のことながら面食らつてしまふ。
みんなの日本語』の前身『新日本語の基礎』の教師用指導書には次のやうな使ひ分けの説明があるのだが……。

【丁寧体】

  1. 目上の人
  2. だいたい同年齢の人
  3. 初めて会った人
  4. 上司
  5. 会議など公的な場

【普通体】

  1. 目下の者
  2. だいたい同年齢の人
  3. 親しい友達
  4. 家族

『新日本語の基礎1教師用指導書』(P.138)ISBN:4906224687

これをそのまま教へたとしても、学習者を混乱させてしまふのがオチ。だいたい初級の学生に日本語でこんな説明できるわけがない。結局媒介語を使ふことになつてしまふのだが、直接法を前提にしてゐるテキストなのだから、それは避けたい。
それで、自分がやつてゐるのが、絵で二人の話者の距離を表すこと。丁寧体を使つて話す二人の間には距離があり、普通体で話す二人の絵は(大げさだが)肩を組んだ状態。これを見せれば、上のリストの両者に入つてゐる「だいたい同年齢の人」でも丁寧体で話す時と普通体の時の違ひがわかるのではないか、と。
動詞自体を変化させる尊敬語・謙譲語(「いらつしやる」「まゐる」等)はともかく、語尾に関しては「横の距離」の問題として教へたはうがわかりやすいと思つてゐた。
そんな時、上の「はてなの茶碗」のエントリーを読んで、自分の教へ方でもよかつたのかなと、勇気づけられました。橋本治の『ちゃんと話すための敬語の本』は買はなくちやな。


また、一つ上の「です/ます体」の歌についても、「距離を認めた相手」への語りかけの場合がさうなるのではないかと思ひます。「母」に対しても、もう「親子」といふだけの関係ではなく、独立した「大人」としての付き合ひができるやうになつて初めて「です/ます」が出てくる。と、強引に話題をつなげてみました(笑)。