「弁当を使う」

どの作品だか忘れてしまつたが、むかし夏目漱石小説を読んでゐて、「便當を使ふ」といふ言ひ回しを読んだ記憶がある。井上ひさし小説にもあつたかな。
自分は実生活で一度もこの表現を耳にしたことがなくて、なんとなく不自然な気がしたので、その時辞書をひいてみたのだけど、ちやんと載つてゐた。

つか・う つかふ 0 【使う/遣う】
(6)ある行為をする。
「手水(ちようず)を―・う」「弁当を―・う」「産湯(うぶゆ)を―・う」
Goo辞書「大辞林 第二版」

で、その時は「あ、さうなのか」と一応わかつたことにしておいた。でも、やはりなんかひつかかるものがある。上の「大辞林」でも「手水」「産湯」と比べてみると、違和感がありませんか(自分だけ?)。「手水を使つて洗ふ」「産湯を使つて洗ふ」ならわかるけど、「弁当を使つて食べる」は、いいのか。
その後台湾へ来て、北京語(中国語)の「用餐」といふ言葉を聞いた時、これだつたのかと思つた。「用餐」を一字づつ見ると、「用」は「使ふ」、「餐」は「食事・料理」などを表すので、「弁当を使う」と同じやうな形だ。ただ、北京語の「用」には「めしあがる」といふ意味があり、「請用茶(お茶をどうぞ)」などとも言ふ。
つまり何が言ひたいのかといふと、漢文にも精通してゐた漱石は、北京語の「用」の意味で「使ふ」を使つてゐたのではないか、と。(「弁当を使う」の「使う」は北京語起源?)。
と書いてみたものの、たぶん単なる勘違ひでせう……。自分が知らなかつただけで、「弁当を使ふ」は、昔からある普通の日本語なのかもしれない。まあ、恥をさらしてもいいから、思ひつきとして書いておかう。(一応古語辞典をひいてみたが、「手水をつかふ」は載つてゐるが、「弁当」はもちろんない。)
ちなみに、自分の生徒たちの何人かに北京語で「用便當」といふ表現があるかと聞いてみたところ、「ない!」と強く否定されてしまひました。これで、「弁当を使ふ」北京語起源説の根拠が薄くなつてしまつた。

【追記】
しかし、Googleで検索してみると、いくつかあるやうなのだが……。
「用便當」検索結果
旅行や行事の日程表のやうなページに下のような例を見つけた。うむ。

  • 中餐:「火車上用便當」
  • 請老師在小木屋與辦公室用便當