最近読んだもの。

いつも台中の紀伊國屋でまとめて注文するので、先にぱらぱらと立ち読みしたりすることはできないのだけど、意図せずそれぞれの内容につながりがあって、興味深かった。最初に手にとったのは『ゴシップ的日本語論』だが、いきなり『漢字と日本人』についての話から始まったので、そちらから読むことにする。
実はこの著者の本は初めて。噂にたがわずおもしろい。日本語が表記に漢字をもちいることになったことは“不幸”なことだったという見方も初めてだった。(丸谷氏は「しかし反面として、幸福な点もあつたんぢやないか」と話を進めている。)
台湾で日本語を教える際、漢字は確かに便利ではあるが、非常に扱いが難しい面もある。漢字だからわかってくれるだろうと高を括っていると、落とし穴にはまる。以前「親切」という語についてはこの日記にも書いた(id:tinuyama:20040307)。また、台湾の日本語学習者用の掲示板で見かけた質問に「販売予定数終了」はどういう意味か、というのもあった。全部漢字なのに中国語(北京語)話者には理解できないらしい。本書に詳しいが、語順の問題、和製漢語の問題(江戸時代までの和製漢語は漢字を見ても中国人には意味はわからない)などは、自分の経験を解説してもらっているようだった。「大丈夫」、「大切」、「面倒」、「世話」など、日本語学習のごく初期に覚えなければならない単語にもこういったものは多い。
また、こちらの学習者の心構えの問題というか、先入観として「漢字があるから日本語は簡単だ」と思っている人が多い。単語ごとに「それは漢字でどう書くのか」と質問してくる生徒もいる。とにかく全てを漢字にして理解しようとしているのだ。極端な例をあげれば「です」の漢字は何ですか、とか。こういう生徒に対して、自分はきちんと説明できているか。


『ゴシップ的日本語論』。著者の講演や対談などをまとめたもの。以前の著作で読んだことのある内容と重なる部分もあって、さらっと読んでしまった。文庫になってから買ったほうがよかったかも。


万葉集』。冒頭に万葉仮名ではどうして「義之」を「てし」と訓むかという話。王羲之がすぐれた書家(手師)であったことからの義訓ということなのだが、気づいたのは本居宣長。すごい。『漢字と日本人』によると、この「手師」が最も古い「まぜこぜ語(和語+漢語)」だろうとのこと。