外国語が流暢だからといって・・・。

「外国語が流暢だからといって通訳者がつとまるとは限らない」
id:QianChong:20040330
id:toraneko285:20040330#p2
こちらに非常に興味深い話があったので、便乗して自分も書きます。
自分の場合は、日本語教師について。


外国語が流暢だからといって、語学教師がつとまるとは限らない。場合によっては、その「外国語に対する自信」が逆にマイナスに作用してしまうこともある。
中国語が上手な日本人教師、また台湾人教師の授業でしばしば見られる光景として、次のようなものがある。
まず、教師が日本語でべらべらしゃべり・・・、
教師 「今言ったのわかった?」
生徒 「・・・(無言で首を振る)」
教師 「わからなかったの? 今言ったのはね、これこれこういう意味で・・・」(以下中国語での説明が延々と続く)。
これでは学習者が発話する機会がほとんどない。教師はいろいろ「教えた」つもりになって、自己満足してしまうのだけれど、生徒にとっては教師の自慢話を聞かされているのと同じこと。
語学教師が(特に初級レベルで)注意しなければならないのは、「何を教えるか」ではなく、「何を教えないか」の方なのだ。教室にいるのは、日本語環境の中で常に日本語を耳にして育つ子どもではない。学習者のほとんどはこのクラス以外で日本語に接する時間はない人たち。そういう人たちに効率よく教えていくためには、教室での語彙コントロールは必須だ。使用するテキストの内容をしっかり頭に入れておき、できるかぎり既習の単語・文型のみを使って話すようにする。ベテラン教師になると、基本的な単語は第何課のどの例文で初出かは全て把握している。そうすることで、その日の新出単語なり、新しい文法規則なりに学習者の意識を集中させることができる。
そうして、教師の仕事の大部分は「教える」ことではなく、学習者の発話の補助をすること。例えば、「毎日運動したほうがいいです」(『みんなの日本語』第32課)という文を教えるとする。最初は、絵カードを見せながら、動詞レベルで「行きます」→「行ったほうがいいです」、「食べません」→「食べないほうがいいです」などの変換練習で口慣らし。次に文レベルでのドリル、教師のキュー「体に悪いです・タバコを止めます」→生徒「体に悪いですから、タバコを止めたほうがいいです」などといった練習に進む。さらに、教師の演技(おなかが痛い様子など)に対して、「どうしたんですか」「薬をのんだほうがいいですよ」といった短い会話形式の練習というふうに次第に難易度を上げていく。目標はその日の学習項目を生徒が自然に口にできるようになるまで定着させること。そのための各種ドリルの方法を考え、絵カード、教材などを準備し、生徒が途中で飽きないような流れで授業を進めることこそ教師の仕事であって、「意味」を説明することは、授業全体でみると小さな部分にすぎないのだけれど・・・。
授業が教師の独演会になってしまうのは、やはり台湾人の教師に多い。生徒に日本語の実力を疑われるのが怖いのか、ついつい「教えすぎ」になってしまうようだ。でも、そういう人に限って、「日本人教師は、話せるけど、日本語の文法を知らないし、説明できない」とかこちらの神経逆なでするような事を平気で言うんだよなあ。それに何度言っても、ちゃんとした教案を書いてこないし・・・って愚痴になってしまうので、この辺で。