『知っておきたい 日本語コロケーション辞典』

知っておきたい 日本語コロケーション辞典

知っておきたい 日本語コロケーション辞典

「コロケーション(collocation)」とは、「文や句における、二つ以上の単語の慣用的なつながり方」といふ意味らしい。ウエブ上にある『大辞林』に新語として載つてゐた。(『大辞林』:コロケーション)。自分のクラスでも、「気」に関する言葉、「気にする」「気になる」「気が重い」などや、体の部分を用いた多くの慣用表現を説明しなければならないことがあるので、参考にしようと思ひ買つてみた。
しかし、監修者である金田一秀穂氏の「まえがき」を読んで首を傾げてしまつた。

「腹を立てる」というのをそのままタイ語に直訳して、日本語を知らないタイ人に、どんな意味だと思うか、と聞いたところ、一番多かった答えは、「妊娠した」だった。確かにそう思っても仕方がない。妊娠するとお腹が四角く出っ張ってくる。それを立つと思っても当然である。

「直訳」といふのが、よくわからない。タイの人が自分で辞書をひくなりして意味を推測したわけではなく、日本語の母語話者が日本語をタイ語に「直訳」するとはどういふことか。タイ語はわからないので、台湾の國語(北京語)の場合で想像してみる。台湾で出版されてゐる日語辞典で「はら」と「立てる」を調べ、それぞれの項の最初に記載されてゐる訳語で言換へる。「はら」は「肚子」、「たてる」は「立起」。「肚子」は腹部や内臓を表す言葉なので、ここから日本語の「はらをたてる」の意味を推測することは確かに無理だ。しかし、これが「直訳」だらうか。もしこのやうにして母語話者が非母語話者に意味を提示してゐるのであれば、これは単に間違ひを教へてゐるだけぢやないのかなあ。
一つの単語にはいろいろな意味、用法があるが、それらを全て羅列するやうな教へ方は学習者に暗記を強要し、負担を増やすだけになつてしまふ。もちろん外国語の学習はとにかく覚へなければ先へ進めないのだけれど、学習者に自分で考へる余地を残してやることも大切だと思ふ。複数の意味が辞書に載せられてゐる場合でも、それらの意味に共通するエッセンスといふか根本的な意味を提示してやることで、意味の類推はかなり楽になるのではないか。
例えば、「たつ」「たてる」について、『ことばの歳時記』(金田一春彦著)*1では「春が立つ」「虹が立つ」「ついたち(一日/月立ち)」などの言葉を挙げた後、次のやうにまとめてある。

つまり、「立つ」というのは今まで存在しなかったもの、一般に神秘的なものが忽然と姿をあらわしたことばであり、「竜」をタツというのも常に隠れているものが現れる意味だろうと推定される。(p.57)

また、『新版日本語の世界』(大野晋著)*2では、ずばり「腹が立つ」についての説明もある。

タツとは「風が立つ」「煙が立つ」「ほこりが立つ」のように、自然界の力の活動によって、空気の動きが起こることをいう。また、「春立つ」「月立つ」のように、物のけはいや、月などが目に見え、出現することをいう。「腹が立つ」などは、腹の気持ちが動いて、おさまらないことをいう。これらのタツはみな活動が始まるという意味を持っている。(p.88)

上の金田一秀穂氏の「直訳」が、たとへ一種の「遊び」だったとしても、これらの説明を読んだ後では、全く無意味なことのやうに思はれないだらうか。「はらをたてる」の意味を「妊娠した」と誤解するやうに導いたのは母語話者の方なのである。日本語を教へてゐるものの端くれとしては、かういふのはどうも「はらがたつ」。
まあ、しかし辞書といふのは実際に使つてみなければ、そのよさはわからない。もしかすると、かなり使ひ勝手のよいものなのかもしれません。さう感じた時にはまたここに書きます。さて、ではこのコロケーション辞典で「はらをたてる」をひいてみませう。

腹を>立てる
立腹する。(例)相手の不誠実な対応に腹を立てる。(P.270)

……。これでは使へませんて……。ついでに、「普通の」国語辞典である『新明解国語辞典(第五版)』の説明も書いておく。こちらのほうが内容も多く、わかりやすいぞ。

はらが立つ[=不愉快になり、心の平静を失う。怒る]
はらを立てる[=何か不愉快な事が有って、怒りの感情を言動などに表す]



*自分はまだこの「コロケーション辞典」の内容を上記の部分以外は全く読んでをりません。これはあくまで「まえがき」についての感想です。