「なんて」
日本語能力試験二級レベル。
年に一度の日本語能力試験では機能語(文型)の四択問題が多数出題される。
テスト( )なくなってしまえばいいと思います。
1)なら 2)こそ 3)くらい 4)なんて
二級一級ともなると、かなりの数の文型を覚えなければならないため、これらを列挙した(五十音順・出題頻度順・機能別など)参考書が台湾でも多数出版されてゐる(例へば『どんな時どう使う 日本語表現文型500―日本語能力試験1・2級対応 (アルクの日本語テキスト)』の台湾版など)。これらの多くは、文型ごとに最小限の解説と短い例文が附されてゐるものだ。確かに学習者にとつては便利だとは思ふのだが、この手の参考書を使つて「文型だけ」「短文だけ」を暗記してしまふことによる弊害もある。
「先生、私、○○○なんて嫌いです」
先日、休憩時間の雑談中に学習者がこんな発言をした。○○○の部分は政治家の名前だつたのだけれど、今までその政治家の話をしてゐたわけでもないのに、いきなり「なんて」が出てきたのだ。日本語の会話としては明らかに不自然なのだが、教師としては「なるほど」と思つてしまふ。
と云ふのは、上記の参考書類の「なんて」の項には、「軽視の気持ち」といつた説明が書いてあるのだ。この学習者はその説明をそのまま覚えてしまつたものらしい。参考書類に載つてゐる「名詞+なんて」の典型的な例文は以下のやうなもの。
- あなたなんて大嫌い。
- わたしなんてまだまだです。
- ( )なんて要らない。
「自分に関するものについては、謙遜の意味になる」と説明がされてゐるものもある。教室では上の文の括弧の中に言葉を入れて例文を作る練習などをやるのではないだらうか。
ちなみに、教師向けの『中上級を教える人のための日本語文法ハンドブック(ISBN:4883192016)』では以下のやうな例文が挙げられてをり、「検討の範囲を外れてゐる」といふ説明がされてゐる。
(1)卵焼きなんて簡単に作れる。
(2)牛タンシチューなんて家では簡単に作れない。
卵焼きの場合は、「検討するまでもなく当然(簡単)」、逆に牛タンシチューは「考へも及ばないほど問題外(難しい)」と。
しかし、どんな説明をするにせよ、一文だけで考へてゐては、先の自分の学習者のやうな発言が出てしまふことは避けられないと思ふ。やはり、当然のことながら、「なんて」といふ言葉がぴつたりとくるやうな状況を提示してやる必要がある。
前の「あなたなんて嫌い」と云ふ文では、恋人と喧嘩した後に、相手が「機嫌直してくれよ」などと謝つてくる時にこそ有効な表現だが、さういふ状況(前提)がないところでは使へない。「私なんてまだまだです」も、何かしら褒められたり、評価されたりした時の言葉だ。つまり「なんて」は相手の発言や働きかけに対するリアクションとして使ふのが一番自然なのではないか。
A:料理できるの? 卵焼きは?
B:卵焼きなんて簡単に作れるよ。
かうして対話としてみたはうが、「なんて」を含む一文だけを考へるよりもずつと自然だ。学習者に例文を考へてもらふ際も、対話形式にしたはうがいいかもしれない。
A:料理できるの? ( )は?
B:( )なんて簡単に作れるよ。
A:( )って、いいよね。本当に便利だ。
B:( )なんて、要らないよ。( )から。
A:(映画の作品名)見た? おもしろかったね。
B:( )なんて、たいしたことないよ。( )のほうがよかったよ。
加へて、対話者の関係についても説明しておくべきだらうな。「あなたなんて嫌い」と云ふ発言が許される関係といふのはかなり限られる。「( )なんて要らない」にしても、かういつた強い否定を笑つて許容してくれる相手でないと、喧嘩になつてしまふだらう。さういふ意味では、日本語学習者が実際に口にできる「名詞+なんて」は謙遜の意味として使ふ場合が多いんぢやないかな。今度この文型を扱ふ時にはもう少し考へてみよう。