『旧かなを楽しむ』

読んだのはずいぶん前なのだけれど、人に貸してゐたのが戻つてきたのでメモしておく。

旧かなを楽しむ―和歌・俳句がもつと面白くなる

旧かなを楽しむ―和歌・俳句がもつと面白くなる

題名どおり、非常に楽しめる内容。前半部は、古典語の助動詞「き」「けり」などの解説にもかなりページが割かれてゐて、現代短歌や俳句の中の誤用例と古典作品とを対比させての説明は非常にわかりやすく、おもしろい。後半、第五章から谷崎潤一郎『盲目物語』などを使ひ、「旧かな」の練習に入るのだが、自分のやうに「旧かな(歴史的假名遣)」を使ひはじめたばかりの人間には非常に役に立つ。手元に置いておいて、何度も参照したい。
ただ、一箇所だけ気になるところがあつた。

外国人に日本語を教へることを、私は組織的にやつた経験はありませんが、やつてゐる人にきくと、外国人に動詞活用を教へるときは旧かなにかぎる、なんて言ひます。なにしろちよつとローマ字で書けばいま見たやうな姿ですからね。
こんな整然としたものはない。複雑なところが全然ありません。これは外国人もよろこぶでせう。実にみごとに早くおぼえてくれるさうです。(P.125)

新かなでの動詞の活用表が「不自然な形」になつてしまふという点にはもちろん賛成なのだが、だからといつて日本語のクラスで「旧かな」を使つて動詞活用の説明をすることが有効だとはとても思へない。著者にこんな話を吹き込んだのは本当に日本語教育の関係者なのだらうか。
いくら「みごとに早くおぼえて」も、それを実際に使ふことができないのだつたら、学習者がよろこんでくれるはずはないと思ふのだけれど。教科書も辞書も新聞も、学習者が目にする日本語は全て新かなで書かれてゐるわけで、何より各種試験が全て新かな表記になつてゐる現状では、「旧かな」を授業に取り入れることは難しい。授業のコマ数は少ないのだ。
かなり上級者になつてからといふのならいざしらず、動詞の変化を学ぶ初級の時点でどうやつて新かなと「旧かな」の違ひを説明しようと言ふのだらう。特に日本国内で教へる場合、媒介語が使へない状況が多いのだし。それに現在の初級の教科書には、日本の国語文法で教へるやうな動詞活用表は載つてゐないのだ。学習者は活用表を見ながら動詞の変化を覚へるわけではない。
本書の主旨とはあまり関係のない部分なのだが、一応メモ。