『日本文学盛衰史』

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

明治の文士たちが次々に登場し、時には時間を超えて著者高橋源一郎とも言葉を交はす。非常におもしろかつたのだが、読みながら考へてゐたのは所謂「言文一致」。
この作品の中にも新しい文体の創出に悩む小説家詩人たちが多数登場する。

ほんとうは違うことを、違う言葉でいいたいのではないか。彼らはそう思うことがあった。だが、そんな言葉はどこにもなかった。独歩たちは「自然! 宇宙、固とより不思議なり。人間! 嗚呼人間に至りては更に不思議に非ざる乎」という書き方しか知らなかったのである。(P.150)

作中では、このあと独歩が二葉亭四迷によるツルゲーネフ翻訳集『片恋』の文体に出会い、「決定的な瞬間」を迎える場面が描かれるのだが、やはり現代の自分には「言文一致」以前と云ふものがうまく摑めない。上のやうに「という書き方しか知らなかったのである」と云はれても、「はい、さうですか」と納得することは難しい。「言文一致」とは何だつたのか。

明治時代に「言文一致」の運動があった。「言文一致」というと、「話すように書く」ことであり、その結果なくなったのは古い書き言葉としての文語だと普通は考えられている。しかし、「言文一致」の実態は、書き言葉が基準とされた東京の山の手の中流の人の話し言葉に似せて姿を変え、こうして出来た新しい書き言葉のとおりに話すことを多くの人が強いられたということであった。その結果消えたのは、地域や階層によってきわめて多様であった話し言葉のほうだったのである。

「言文一致」といふ新たな文体の創出によって、当時の話し言葉の多様性が消え、以後の我々は「言文一致体」といふ書き言葉のとおりに話すやうになつた。では、明治の小説家詩人たちはどのやうな言葉で話してゐたのだらう。『日本文学盛衰史』は現代の小説であり、当然のことながら登場人物は「言文一致」以後の言葉で会話し、悩み、そして改めて(?)「言文一致」を発明する。「言文一致」以前を知ることはできるのか。次は江戸の小説を読んでみたくなつた。


ところで、この作品の中の重要な登場人物の一人、石川タクボクの漢字表記が、点のない「啄木」になつてゐる。文学賞もとり、文庫化もされてゐるのだから、誰か指摘した人がゐるとは思ふのだけど、どうしてなんでせう。
人名用漢字内の略字の取扱ひ方」
http://daukan.hp.infoseek.co.jp/jinmei/jinmeinainoryakuji.htm
こちらを読んだ直後だつただけに、非常に気になつた(と云ひつつ、ここは正字ではないのですが)。