桃園神社についての例の記事

前回の日記(id:tinuyama:20050910)で玄史生さんと浦木裕さんに教へていただいた例の記事を読んだ。

呆れた。現在は忠烈祠*1となつてゐる桃園神社を使つて商売をしようといふことらしい。
この記事は、桃園県の忠烈祠が「桃園県神社文化館」として生まれ変はる計画があると報じ、桃園県政府の意向として以下のやうな点を挙げてゐる。

  • 忠烈祠がある虎頭山に桜並木を造る
  • 日本料理店街を建設する
  • 文化館内で特製の御守りを販売する*2
  • 日本の祭りを開催し、伝統的な日本の味はひを演出する

何といふか……。開いた口が塞がらない。浦木裕さん(id:kuonkizuna)によると、これらは事実と異なるさうなのだが、記事中では桃園県副県長の言葉として引用されてゐる。副県長氏の個人的な見解に過ぎないものを記者が記事にしてしまつたのか。
この副県長氏は「(元・桃園神社の建物は日本国外の最大のものであるのだから、)日本風にして何か問題あるの?」と言い放つてゐる。また「平安、進学、恋愛の御守りを販売しませう。台湾でしか買へない日本の御守りですよ」ださうだ。こんなことをして人が集まるとでも本気で思つてゐるのか。いくら何でも台湾の人を舐めてないか。それに、祭りつて、一体誰が何のためにやるんだらう?
また、神社が建設される前の段階で、日本人によつて台湾各地の寺廟が数多く壊されたり焼却されたりした歴史をこの副県長氏はご存知ないのでせうか。

寺廟だけではない。総督府は、各家庭でも台湾人が祖先の位牌を祀っている霊壇に神棚をおかせ、天照大神を祀らせるために祖先の位牌を取り除くことまでも強制した。それはあまりにもひどすぎるということで、この宗教問題は日本の国会でも取り上げられた。
日本統治下 台湾の「皇民化」教育―私は十五歳で「学徒兵」となった

かういつた歴史を全くなかつたかのやうに、元・桃園神社を「日本風」観光地にしようとする神経を疑ふ。
しかも、戦後は忠烈祠として存在してきたもの。退役軍人会からの抗議は当然だと思ふ。今回修復作業が行はれるさうなのだが、それは純粋にこの建物を資料として残すためのものであつてほしいと思ふ。余計なものは要らない。この建物に何を見るかは、見る人、それぞれの目にゆだねてほしい。

*1:戦歿した人の御霊をまつる祠

*2:御守りは「買ふ」ものではなく、頂くものだと聞いたことがあるのですが、どうなのでせう。まあ、日本でも普通に売つてますが(笑)。