台湾の試験問題

この文はどういふ意味なのかと生徒から質問を受ける。

私はもし女の夫である友人がやってきたら、この女と結婚すると答えるつもりでいた。

台湾の某大学の編入試験問題の中にあつたもので、これを中文に翻訳せよとのこと。出典もなく、前後の状況も説明されず、この文のみ。「女」と「この女」が同一人物だと考へるしかないが、だとすると「私」は「友人」から「女」を奪う気でゐることになる。それにしても、離婚もしてゐないのに、いきなり「結婚する」とは唐突といふか無茶な気もするが……。かなりの日本語上級者数人にもこの文を見せてみたが、みな翻訳の前に問題文の意味がよくわからないと言ふ。さうでせう。自分もよくわかりません。こんな問題で「日本語の力」がわかるのだらうか。
この問題はまだいいはうで、台湾での日本語の試験問題には首を傾げざるをえないものが少なくない。同じく翻訳の問題から。

僕は「檸檬」を本屋で立読みした。読み終えると、「あゝ」と軽く溜息をしながら、夕暮れの街を歩きながら、学寮へとぼとぼと向かっていた。

この問題文の日本語はおかしいでせう。「ながら」が重複してゐるし、「向かっていた」の「ていた」も変。「溜息をしながら」も自分は不自然に感じる。「ため息」につく動詞は、普通「つく」「もらす」「出る」などではないか。(しかし、Googleでは「ため息をしながら」でも536件ヒットした。ふうん。)出題者が想定してゐる正解はどんな中文なのだらうか。
また、別の学校の問題で見た次のやうな例文もちよつと無神経なんぢやないのかな。接続助詞を入れる問題。

彼女は美人ではない(けど)、親切だから人気があります。

そして一番の問題は試験問題なのに、誤字があつたり、選択肢の中に正解が二つあつたりすること。少なくとも、入学試験、編入試験などではもう少し慎重を期してもらひたい。受験生がかはいさうだ。
最後に一つ、昨年度の某大学の日本文学史の入試問題を。和歌を「現代語に書き換へなさい」といふ問題。

冬がれの野べとわが身を思ひせばもえても春をまたましものを(伊勢物語巻十五)

「現代語に書き換へる」ことができるかどうかといふ点はおいておく。しかし、出典が『伊勢物語』とは。これは『古今和歌集』巻第十五恋歌五にある伊勢の歌。