言語習得過程の視点

長い題名の通りの内容。これまでの諸研究の成果を引きながら、現場への様々提言がなされてゐる。自分の授業の中にも明らかに不適切と思はれる指導法があつたことに気づかされ、読んでゐて、恥ずかしさに顔が赤くなつてしまふことたびたび。
実際に行はれた実習生の授業や市販教材などの問題点を指摘するだけでなく、同じ教材を使つての新たな活動の提案がなされてゐるのは非常に参考になる。明日からでも実践できる。
特に有益だつたのは聴解や会話の練習についての提言。これらの指導では、日本人同士のモデル会話を完全に聞き取つたり、モデル会話に近い発話ができるやうになることがゴールのやうに考へられがちなのだけれど、そのことが逆に、教室の中ではできるのに教室の外に出るとなかなかうまくいかないといふ学習者をつくりだすことになつてゐないか。
例えば、聴解練習の会話テープは、学習者が参加しない会話を言はば「盗み聞き」してゐるやうなものだが、日常生活ではかういふことはまづない。このやうな練習が教室外の聴解行動に移転可能か、と。
また、会話練習について。

意味のある会話のできる力は、文法についての知識だけで構成されているのではない。他に、適切な状況で適切なことが言える力、会話を切り出したり会話に入ったり会話を終らせたり、あるいは一貫性を持って話しが展開できたりする力、また自分の言いたいことを効果的に伝えたり、また上手く伝えられない場合には適当なストラテジーを使って切り抜けたりする力なども文法知識に勝るとも劣らないくらい重要である。(P.82)

自分の場合、最近試験対策のクラスが多かつたので、「文法偏重」になつてゐたと思ふ。もつと考へなくちやな。