苟も……

題名だけ見て買つてみたが、これは失敗。言葉についての薀蓄の本かと思つたら、「昔の日本はよかつた」といふことがだらだらと述べてあるだけだつた。
著者は高名な脚本家とのことだが、日本語について、また時々比較として持ち出される英語については専門的な知識をお持ちではないやうだ。
苟も日本語についての本でかういふことを書くのは恥ずかしいのではないか。

考えれば「中毒」という言葉もヘンチョコリンな翻訳語だ。毒の中に自分がいるのか、自分の中に毒があるのか。(P.46)

「中毒」の「中」は「なか」ではなくて、「中(あた)る」でせうし、語順を考えても、翻訳語ではなく、北京語(中国語)からの外来語ではないでせうか。
また、

言語のグローバリゼーションが起きてしまった。そんなことは絶対許してはいけない。(P.134)

「言語のグローバリゼーション」とは、本書では英語起源のカタカナ語の氾濫を指してゐると思われるが、一方では次のやうな記述もある。

「いとおしさ」「みやび」が世界中の国語辞典に載れば

ここでは、日本語の語彙を輸出し、外来語としていろいろな言語の中に定着させてしまへといふ主張。上の二つがどうして並立できるのか。正直、どうしてこんな内容で出版できるのか理解に苦しむ。