受身(その2) 被害を受けた人は?
(*自分のためのメモです。)
みんなの日本語 第37課 2回目
1回目の直接受身に続いて、間接受身。
- 直接受身
1.先生は陳さんをしかった。 (「主役」は先生)
2.陳さんは先生にしかられた。(「主役」は陳さん)
「主語」という用語を使うと、面倒くさくなる*1ので、この場面での「主役」という表現で話を進める。懐中電灯をスポットライト代わりにして、絵の中の人物に光を当てながらドリルを行なう。→受身にすることで、舞台上(絵の中)でスポットライトを浴びる人物が換わる。
- 間接受身
3.弟は私のケーキを食べた。(「主役」は弟)
4.私は弟にケーキを食べられた。(「主役」は私)
文を受身にすることで、3の文では舞台上にいなかった「私」がスポットライトを浴びる。弟がケーキを食べたことが原因で、「私」に影響が及ぶ。間接受身での「主役」は、ほとんどの場合、「被害者」として登場するため、「迷惑の受身」とも呼ばれる。これも、絵と懐中電灯(スポットライト)で説明。中国語やその他の言語では、「受身」とは認識されない文でも、「被害者」は誰か?という問い掛けをすることで意味がつかみやすくなる。例えば、
5.雨が降った。→私(被害者)は雨に降られた。
6.子供が泣いた。→私(被害者)は子供に泣かれた。
7.隣の部屋の人がマージャンをした。→私(被害者)は隣の部屋の人にマージャンをされた。
受身の基本的な意味は、「他者の行為をコントロールできずに(迷惑をこうむる)」ということで、これが逆に「他者の行為をコントロールする」場合、「使役」の形になる。
4´ 私は弟にケーキを食べさせた。
5´ 私は雨を降らせた。
6´ 私は子供を泣かせた。
7´ 私は子供を泣かせた。
ちなみに、3の文に関して、
3.弟は私のケーキを食べた。
8.私のケーキは弟に食べられた。
8ような形の受身は、日本語の教科書には出てこない。もともと日本語では、動作主が特定されている場合、物に関する受身文は作らない(作る必要がない)のではないだろうか。8の文も、どことなく翻訳調の文のような感じがする。
教科書では、動作主が不特定多数だったりして、明示する必要がない場合の受身文のみを扱っている。
9.オリンピックはギリシャで開催される。
10.ワインはぶどうから造られる。
また、例外として、発明・発見や作品などは、動作主を特定した形での受身がある。が、この時、動作主に「に」は使わず、「によって」を使う。
*1:日本語に主語はないという説もある。『日本語に主語はいらない』