いわゆる「ら抜き言葉」

前日の日記に自分でつけたコメント見てて、思ったんだけど、この仕事をやってるせいで、自分はどうしても「見られる」と書いてしまう。最近ネットの掲示板などでは「見れる」が主流、というか、くだけた会話では「見られる」を使うほうが珍しい。
初級レベルの教科書では例外は少ないほうがいいに決まっているが、そろそろ教科書でも「見れる」「寝れる」「来れる」などを扱ってもいいんじゃないかな。せめて、「注」をつけるとか。
自分の母語(九州地方の方言)では、「見られる」も「見れる」もなかったので、どちらが「正しい」かという議論にはノータッチ。自分にとってはどちらも同じ。
 ただ、最近目にするようになった表現で「見れていない」というのはおもしろいと思う。W杯期間中に「あの審判は、見れていない」という言い回しに気づいたのが最初。これを「ら抜き」ではなく、「ら」を戻した形にしててみると、「(×)あの審判は、見られていない」となって、これじゃ意味が通らない。「見えて(い)ない」とも違うでしょう。「ら抜きの形」でしか通用しない表現。こういうのって、以前からあったものなのかな。今度、「ら抜き」関係の論文などを探してみよう。

 ちなみに、Google検索してみると、
「見れていない」2660件
「見れてない」6950件
重複なども多数あるかと思うけど、予想以上のヒット数。

 他にも
「寝れていない」222件ヒット
「寝れてない」938件ヒット

「食べれていない」134件
「食べれてない」324件

「覚えれていない」14件
「覚えれてない」75件

「閉めれていない」0件
「閉めれてない」1件

「着れていない」26件
「着れてない」94件

 うーん、「寝れてない」は聞いたことあるけど…。また気が向いた時にでも調べてみよう。