手電筒(懐中電灯)

(中文の練習)
一整天教書,就連下課後還是一直持續興奮狀態。不能馬上平復下來。所以坐客運回家的三個小時的路程對我來說是最適合看書的時間。
但是有的巴士裡的電燈壞掉或設計不良,光線照不到我身邊。手上有書,有時間,而且精神很好,沒辦法看書的話,對我而言是一種折磨。所以最近我決定帶了小型手電筒。但卻遭來一些異樣的眼光。同時我也發覺,在巴士裡看書的人似乎比我想像的還少。

授業中はいろんな意味で緊張してゐるので、終つた後もしばらく一種の興奮状態といふか、変に頭が冴えた状態が続く。だからバスに乗つてもすぐに眠たくなつたりしないのだ。といふ訣で、帰りのバスの中の三時間は絶好の読書時間になる。いくらでも読める。
しかし、台湾の長距離バスは読書灯が壊れてゐたり、灯りが手元まで届かないなんてことがよくあり、何度もがつかりさせられたことがある。読みたい本が手元にあり、時間もたつぷりあるのに、読めないとなると、一種の拷問だ。だから、最近は小型の懐中電灯を持参することにしてゐる。ただバスの中で懐中電灯を使つて本を読んでると変な目で見られるのですね(笑)。今度ちやんとしたブックライトを買はう。それから、台湾では読書灯がある時でもそれをつけて本を読んでゐる人は少ないやうな気がする。

『渇きの海』(アーサー・C・クラーク ハヤカワ文庫)

週末懐中電灯で読んでゐたのがこれ。suikanさんのところで紹介されてゐたのを見て購入(http://d.hatena.ne.jp/suikan/20050805/1123243342)。渇きの海 (ハヤカワ文庫 SF ハヤカワ名作セレクション)
月で遭難した観光船をタイムリミットまでに如何にして救ひ出すのか。救出する側とされる側、双方の人間ドラマを描くといふ点で映画『アポロ13』に通じるものを感じました。しかし本作が書かれたのは、アポロが月に到達する以前の一九六〇年(!)。約半世紀を経た現在でも著者の想像力から生まれた月面の救出劇は全く色褪せてゐません。

「次第」

上の『渇きの海』を読んでゐて目にとまつた表現、「終わりしだい」。

これが完成すれば、われわれはただちに空気の供給を――さらに、もし必要なら、食糧と水の供給も――開始する予定であります。したがって、このパイプのとりつけが終わりしだい、みなさんがたには、なんの心配もなくなるわけであります。(P.229)

日本語教師用の参考書などには、「ほとんど同時に/その後すぐ」といふ意味を表す「連用形+次第」の後件に来るのは意志的な動作(命令・依頼・意志)に限られるといふ記述があります。典型的な用法は下のやうなもの。

  • 雨が止み次第、出発しよう。
  • ご注文があり次第、発送いたします。

この点が、過去のみで使ふ同種の文型「た途端に」などと異なる点で教室での指導のポイントになります(参考→id:tinuyama:20050804#tatotan)。
しかし、『渇きの海』の翻訳文の場合、「しだい」の後件は「なんの心配もなくなる」と、意志的な表現ではありません。自分は仕事柄この部分が目についてしまつたのですが、これをお読みになつた方、どうでせうか。違和感があるでせうか。
ちよつとGoogleで検索してみました。(動詞の連用形にあたる「き次第」「し次第」「ち次第」「り次第」などで検索し、最初の五十件程度をざらつと見てみました。)
自分が見つけた「意志的な表現でないもの」は以下の二つ。

  • 現状の調査ができ次第、具体的な支援の要請が現地から来る予定になっております。
  • 作業終了し次第、通常どおりご利用になれます。

微妙。明らかに不自然といふわけでもないが……。どうなのかな。